─── 日記 ───

ここ最近、両親と会話するのが貴重な時間に思える
時には、会話を録音し、あとで文字化することさへ
やっている。
深夜まで、昨夜
、父親と喋った
どんな話かといえば、
アート系の話ばかりだ

父とはよくアートについて
喧喧諤諤、話しをし合い、
この日口論もいづれ記録しておこうと思い
録音していた

まぁ、、どこまで分かるか
分からないか、
美学、哲学やら、いろいろ含ませ、

ここ2年、3年、そうしたやり取りを
文字に起こすことを
すこしづつやって、て
なぜなら、
とにかく父の書く芸術論の文書が
読んでも読めないからだ
ほとんど第三者には
わからない言文であり、いや
わかりたくもない言文である

美術、文学、劇場、音楽、、
人間の為すあらゆる表現形式を
全否定したところから
語ろうとするのだから
そういうジャンルに携わっている
多くの人たちは、みんな
、、、
逃げてしまうのである

もう、言葉が通じない、
互い話しをしながら
でも少しは、アレルギー反応を引き起こしながら
少しは、わかりもいい、少しは、

誰かと共有できれば、いいのだが 、 と、

70歳過ぎの、今まで
彼らのアートしてきた
田舎でアートしてきた
1980年~2020年
に至る、これまでを
総括する段階にきてる、と
それを終わらせるために、と
意気込んでいる

来年3月を目処に企画を組んでいるようだ
彼らの40年の集大成を
エンドロールとして企てているようだ

主要メンバーが他界したり
美術の方向性がメンバー同志纏まらなくなり
グループの存在意義も失った
ここ4、5年、活動も滞り
解散状態になり、機が熟したのだろう

近年、肺気腫、気管支炎、を患い
父も、自身の健康や体力を鑑み
そうした〆の決断に至ったらしい
作品制作も今は行わず
毎夜毎夜、呼吸がしんどいなか
夜半過ぎ、午前2時、近くまで
机に向かっているのだが
殆んどそういう文書を読んでも
全くちんぷんかんぷんなのである

何でこんな、人と共有できないような
こんな論文を、一生懸命になって、
なんで出来るのだろう
なんでやれるのだろう
人に理解されることのない
、、、、、、
もっと違う処 に居て発信している

でも一緒に話しをすると、少しは、わかる
面と向かって話せば、少しはわかりもいい。
理路と情熱、饒舌多弁な語り、

「こんなことをしてるのだけど?」
わたしはこれまで、聞き話したことのpdfでプリントした文書を、
いくつか見せた。

父は喜んでくれる気配など、更々なく
「そんなこと、してくれるな 」
「介入すんな、」的な? 反応であった。

もちろん、期待通り
予想通りの反応である
父の期待に応えるためではなくて、
私の期待、私のためにそうするのだから、ね。
まぁいい、いずれ生きるだろう 、
貴方が死んでから、 生きるだろう、
遺しておきたいからね、

そんなことを内心いだきながら、今晩も
漫談に近い問答や論争を繰りかえした
今回は珍しく罵倒ギリギリのテンションだった

今生きてる父と意思共有できる貴重な場所
たとへ互いの意見や考えが対立していても
思考や感情が対立しても、しかし面白いのだ

フフフフフフ、クラクション、クラクション

今日は大人しく、父と畑を手伝い
部屋じゅうの絨毯の衣替えをする

─────────────────────────

母がこの頃、帯状疱疹という病を患っているというから
どうしたもんか、と心配になり、昨日10/26
実家に見舞いに参った次第だ、飯田でこの土日を過ごす

母は文学や映画なんか好きで、一緒によくそんな話で盛り上る
そこに父が居たら収拾がつかなくなるので、居ない時に話す
ここ近年、源氏物語を今は原文で読んでるようで
「ものの哀れ」ってなに?、以前
ちょっと聞いてみた。なにか話してくれたが、忘れた。
母なりの言葉で話してくれたが、忘れた。でもジーンと来たね
食卓でお茶しながらたまたま、その食卓に置かれていた
母が漬けた漬物を見ながら、その話を聞いていていた
そのときに、なぜか、ジーンと来たね
んー、言葉でわからない、言葉にできないのだが、
、分かり感じ得たこと、

「 」

もう一度その話を、聞きたい、とか、思いながら、
与謝野晶子谷崎潤一郎角田光代、はよかった、
瀬戸内寂聴、はいまいちだったわぁ、
へぇ、どこまでちゃんと読んだか、知らないが
まぁ、文学少女~ 今は、文学ばあば、だ。

散歩したり、庭木のいろんな植物の名前も
「これは、、これは、、」と話しをし出す
あぁそのときその場で聞いてても、忘れてしまう、な
残念に思いながら、メモっときたくなることが、しばしあった。

70過ぎの父母の漏らすいろんな話、今や昔の私的経験から語られる、そんなものがどういうわけか、あとになって宝物になる?、かしらん。ちょっとオーバーな思い込み理想だが、郷から持ち帰る手土産は、そうね、自家製野菜と、両親のそういう語り、かな。