─── 日記 ───

ここ最近、両親と会話するのが貴重な時間に思える
時には、会話を録音し、あとで文字化することさへ
やっている。
深夜まで、昨夜
、父親と喋った
どんな話かといえば、
アート系の話ばかりだ

父とはよくアートについて
喧喧諤諤、話しをし合い、
この日口論もいづれ記録しておこうと思い
録音していた

まぁ、、どこまで分かるか
分からないか、
美学、哲学やら、いろいろ含ませ、

ここ2年、3年、そうしたやり取りを
文字に起こすことを
すこしづつやって、て
なぜなら、
とにかく父の書く芸術論の文書が
読んでも読めないからだ
ほとんど第三者には
わからない言文であり、いや
わかりたくもない言文である

美術、文学、劇場、音楽、、
人間の為すあらゆる表現形式を
全否定したところから
語ろうとするのだから
そういうジャンルに携わっている
多くの人たちは、みんな
、、、
逃げてしまうのである

もう、言葉が通じない、
互い話しをしながら
でも少しは、アレルギー反応を引き起こしながら
少しは、わかりもいい、少しは、

誰かと共有できれば、いいのだが 、 と、

70歳過ぎの、今まで
彼らのアートしてきた
田舎でアートしてきた
1980年~2020年
に至る、これまでを
総括する段階にきてる、と
それを終わらせるために、と
意気込んでいる

来年3月を目処に企画を組んでいるようだ
彼らの40年の集大成を
エンドロールとして企てているようだ

主要メンバーが他界したり
美術の方向性がメンバー同志纏まらなくなり
グループの存在意義も失った
ここ4、5年、活動も滞り
解散状態になり、機が熟したのだろう

近年、肺気腫、気管支炎、を患い
父も、自身の健康や体力を鑑み
そうした〆の決断に至ったらしい
作品制作も今は行わず
毎夜毎夜、呼吸がしんどいなか
夜半過ぎ、午前2時、近くまで
机に向かっているのだが
殆んどそういう文書を読んでも
全くちんぷんかんぷんなのである

何でこんな、人と共有できないような
こんな論文を、一生懸命になって、
なんで出来るのだろう
なんでやれるのだろう
人に理解されることのない
、、、、、、
もっと違う処 に居て発信している

でも一緒に話しをすると、少しは、わかる
面と向かって話せば、少しはわかりもいい。
理路と情熱、饒舌多弁な語り、

「こんなことをしてるのだけど?」
わたしはこれまで、聞き話したことのpdfでプリントした文書を、
いくつか見せた。

父は喜んでくれる気配など、更々なく
「そんなこと、してくれるな 」
「介入すんな、」的な? 反応であった。

もちろん、期待通り
予想通りの反応である
父の期待に応えるためではなくて、
私の期待、私のためにそうするのだから、ね。
まぁいい、いずれ生きるだろう 、
貴方が死んでから、 生きるだろう、
遺しておきたいからね、

そんなことを内心いだきながら、今晩も
漫談に近い問答や論争を繰りかえした
今回は珍しく罵倒ギリギリのテンションだった

今生きてる父と意思共有できる貴重な場所
たとへ互いの意見や考えが対立していても
思考や感情が対立しても、しかし面白いのだ

フフフフフフ、クラクション、クラクション

今日は大人しく、父と畑を手伝い
部屋じゅうの絨毯の衣替えをする

─────────────────────────

母がこの頃、帯状疱疹という病を患っているというから
どうしたもんか、と心配になり、昨日10/26
実家に見舞いに参った次第だ、飯田でこの土日を過ごす

母は文学や映画なんか好きで、一緒によくそんな話で盛り上る
そこに父が居たら収拾がつかなくなるので、居ない時に話す
ここ近年、源氏物語を今は原文で読んでるようで
「ものの哀れ」ってなに?、以前
ちょっと聞いてみた。なにか話してくれたが、忘れた。
母なりの言葉で話してくれたが、忘れた。でもジーンと来たね
食卓でお茶しながらたまたま、その食卓に置かれていた
母が漬けた漬物を見ながら、その話を聞いていていた
そのときに、なぜか、ジーンと来たね
んー、言葉でわからない、言葉にできないのだが、
、分かり感じ得たこと、

「 」

もう一度その話を、聞きたい、とか、思いながら、
与謝野晶子谷崎潤一郎角田光代、はよかった、
瀬戸内寂聴、はいまいちだったわぁ、
へぇ、どこまでちゃんと読んだか、知らないが
まぁ、文学少女~ 今は、文学ばあば、だ。

散歩したり、庭木のいろんな植物の名前も
「これは、、これは、、」と話しをし出す
あぁそのときその場で聞いてても、忘れてしまう、な
残念に思いながら、メモっときたくなることが、しばしあった。

70過ぎの父母の漏らすいろんな話、今や昔の私的経験から語られる、そんなものがどういうわけか、あとになって宝物になる?、かしらん。ちょっとオーバーな思い込み理想だが、郷から持ち帰る手土産は、そうね、自家製野菜と、両親のそういう語り、かな。

父との会話

  
 
                

 斜め向かいに座りふたりの交わす話しの中身は、美術評論オタクのあったまのわりぃコントに違いない。ほのぼの系で長生きしそうである。3月13日 に家に来た父と私との会話をホイスレコーダーより書き起こしたもの。 2018.04



父)ほとんど黒と銀ぐらいだね。黒は水性ペンキ、このなかに痕跡が出てきたじゃん。この二年ほどほとんど全面黒いって感じ、こっちの部分に色見がでてきたの。痕跡の形がでてきてるもんでその部分の色見を消したの。そして一枚ものになるんだけど。
そしてこのなかに一二三四五、六、六個の体があってさ。それがここのなかに動いてきたのよ。そんでさ、平面をつくることを辞めたの、絵画のなかに平面を作ることを辞めたの。こういう痕跡のなかに平面性を求めなかったのよ。これは俺にとっては新しい仕事。


ん゛ん゙ーん(私は咳払い)

私) あのさ、グリンバーグって美術評論家、テヴォーっていう美術評論家とか、最近読みたいなって思ってて、ちょっといい。ユリイカでセザンヌさ。(その本を持ち出し文章を探す)

父) 名前は聞いたことあるなぁ。今の論はおもしろくないのよ。過去の人のほうがおもしろいわ。

私) あぁでも、セザンヌの疑惑の、メルロ・ポンティもでてくるよ。……、「モダニズムのもとで絵画芸術は自己を批判し定義していく過程にとって、何よりも根本的なことは、表面の不可避の平面性を強調することだった、平面性のみが絵画にとってユニークで独占的なものであったからである」「世界はその表面を、その皮膚を剥がれた。そして皮膚は、絵画の平面性において平に広げた。絵画芸術は視覚的に立証できるものに自己を限定したのである。」ここらへんはわかるんだけど、セザンヌ絵画から現代絵画をどう捉えるかってことで、で、すごくびっくりして、おもしろかった「ミシェル・テヴォーがはっきりと次のように述べている。セザンヌといえば、構築性、モニュメンタリティ、構造地質学的厳密さ、円錐形や三角形や球による配置などについて私たちはかたり、彼を印象派の画家たちに対立させるのが通例である、しかし美術史のこの紋切り型は吟味に耐えうるものではない、と。かくして前景化されるのは、中心の脱落、爆破した表面、カオス的なタッチに砕け散った輪郭、解体されて相互に浸透しあう形態。といった特徴、個々の物は、その固有の存在によってではなく、ネガとして、つまり、それではないものも全体、それが否定するもの、隣接する諸々の事物へと送り返されるアレルギー反応によって、水平的で逃走的なファシナシオン魅惑のために次々と連続的に脱中心化する眼差し」、であと云々、精神分析の話しになるんだけど……。ど……。なんとなくさ。日本人ってこういうことを好むんだ。とおもうんだけどね。そういうものを日本人がちょっとお気に入りの文脈を紹介し抜粋してるで、なんだかね。そんなあっちの考えをすぐに近親相姦、大流行りしてるからね。

父) そのへんの言葉をさ、その辺と、おまえはセザンヌの作品のこととはどうなんだ?。

私) なんだかね、なんていう作品名か忘れたけど、花をモチーフにした水彩画であるんだけど、ものすごく親しみがわいたな、展覧会で観てね。小学生のころ描いた朝顔とおんなじだな(笑って。上手い下手は別にして。絵の具ののせかたがさ、すごく油絵の、例えば、父が椅子に座って新聞を読んでる作品、あぁゆうのと違ってすごく、言っていいのかわからないけど日本的なものを覚えた。

父) あぁ 、 塗り残しの水彩画か、そうか。

私) でね、この「ネガ」っての、うぅよくわからない。

父) だから、その言葉だけであれするとさ。例えばここに紙があるじゃんか。ここ、(ラフ、ベニヤ板をコンコン叩く)描かれた面があるじゃんか、色だけ見ると例えば白と黒と、いままではさ、みんな色としてさあ、ところがここに、セザンヌであろうと、お前であろうと、作品のここに、キャンパスがあって絵の具の塊があって筆跡があって、一方で山や風景があったりラフがあったりとさ、それの、ネガっていう言葉で言ってるんでしょ。要するに色や形だけでなくって、もうひとつ別なところで紙であったり鉛筆であったり、とくにセザンヌは、こういう重なり(手のひらを合わせる)でなくって、ずれてたりとかさ隙間があったりしてるじゃんか、(手の指で重ね、網目をつくる)こういう重なり、
そこだけ見ちゃうと絵の具の物的な、だけど実際は風景から見るとこっちはネガ、逆にこちらから見るとネガっていうかさ。言葉でなんていうか、この違い、アンバランスのなかでやりとりをしている。で、今まではさ。平面に全部くっつけていってきたからさ、あるいは全部ネガだったのかもしれないな。で平面をつくることに、やってきたんだけどセザンヌの場合には、そこに紙であったり絵の具であったりとかがさ。それを現代絵画がコラージュとかフロッタージュとかそういう方法が同じように今でも絵画はその平面で読むんだけど。この人(評論家)がセザンヌの絵のなかにそうした構造があったということを評論の視点から言うと、でも、お前も絵をやってるんだから、セザンヌがそういう見方をした絵画性があったということを。絵画は平面をつくることだけじゃなくてもうひとつそこに別なものが加わったことを見ないと。製作をやっている側から、そこを見なきゃいけないよね。キャンパスの地が出ていたり、絵の具の塊がのっていたり、染みてたり、とかさ、そういうものを彼の絵の中にあるということを、読みとれると思う。この読みじゃなくてもひとつ読みとれると思う、今までの絵画の平面をもうひとつ豊かにした場所として キャンバスをそのまま置く という、ね。


私) また、別の見方もある気がするけどね。ただもう、あっちの受け売りをわかったようにさ。頭でばかり、何も無いから本の評から"ま"に受けて。コップの水をあちらからこちらへちょっと色つけてうつしかえなんばっかり。自分で考えろ、自分から考えろ、自分で言葉にしろ、と言いたくなるわ。

父) あぁ、だから自分で見なきゃいけないね。嶋本氏もそうだけど、何回言っても、やっても、自分でその作品みようとしないのよ。みるとさ言葉になっちゃうからさ、当然彼らがやってきたことってのは言語に、させない、そこなんだろうけど、それではでも弱いね。(父は先達亡くなられた、美術作家の嶋本昭三さんのお別れ会に出席し、その帰りに私の宅に寄ったのだった。)

私) その話しはもういいよ、まぁ、、無私性、対象喪失とか近いニュアンスが、なんかがすごく絵でも、時代の意識にかなり強くのぼってきているのかな。って、文学でもところがなんかあってね。中心を失うってのはなんなんだ?空間を平坦化させる、そういうところへ……、


父) はっ、そうじゃないぞ。(父はつかさず口を挿む)、空間を平坦化…、そうじゃなくって、遠近法ひとつとってもな、立体物を平面化させるというよりも、平面に立体物を載せるための方法論だからね。

私)あぁ逆なんだ。

父) そうだから、その以後どんどん平面性という問題が出てくるんだけど、考えてみたらそういうことによって視覚という場所が顔を出してきたということ。だから西洋では最初、風景もほとんどなかったじゃんか。人物の物語のそういうはなしでさ。それが風景も画面に載し得たのが遠近法よ。これを出すためという発想ではなくて(机のカップを指さしながら)、こういう風景が(部屋全体を両手で示すような仕草をしながら)空間が平面になし得ることができたのが遠近法なんだけど。だから、ちょっとちがう、あくまで西洋でのはなし。

私) ルソーとか、

父) アンリルソー?

私) そう、なんかなんにも遠近間がないじゃん。あれっていうのはそういう遠近画法について何か違和感があってわざとそうしているのか?と思うけど。

父) あぁ、あぁ、だから彼は、なんちゅうの…なんだろう子供であろうと、「トン、トン、トン」(煙草の箱を持ち、ちゃぶ台を叩く。違った場所を叩きそれぞれの距離や配置を示す。)要するにこれを可能にしているわな、彼は。(上手く言葉にできないでいる父。)

私) あぁ(わからないことに生返事する)

父) 絵画が遠近法だとかビジュアルだとかなんとか言って、だけど、それへの実際に面をつくるという方向に行ってしまったことは事実なのよ。だから風景がなくって、さっきの、あぁモンドリアンの話しじゃないけど、さんざん樹をデッサンして、あぁいった線とのやりとりだけになっていくわ。それを彼の抽象の始まりとしていいかは知らないに、おらぁ。でもなんでそこに引っ張られて行ったかというとき、ベースが平面であるからということ。だから空間を平面にのせるというのに人間は何をやってきたのか、例えばエジプト壁画なんかみるとそこに物語とか、面、要するにその中で記号のやりとりをしているじないか。………だから西洋の場合には平面を塗るという底辺ががあって、線をひくということじゃないのよ。だから俺は、先生*1の言う“絵画の線”という事じたいが、絵画じゃないのよ、西洋絵画の流れから言うと、面なのよ。要するにそこに線をひく、日本人が線をひくということが何なのか。これ、これはさ、あの人の言う親鸞の話しじゃない、そんなふうに解釈していいわけじゃないはずだけれど、特に西洋の流れで線が出てくるのはある意味じゃ不可能に近い、線でも面を持っている線。だからそういうなかで吉原*2の最初の作品の筆跡が出てくるのは線であっても面を持たないのよ。そこにいろんな問題が出てくるし、おもしろいっちゃおもしろいんだけれど。

(*1)画家遠藤剛熈、絵の先生として筆者が教わっている人物。
(*2)吉原治朗、60年代、日本での現代美術が世界的に注目された一時期、具体美術という作家集団の創始者。父は直接彼とは親交はないものの、その後継者との交流が当の作家活動に大きな影響を与え続けている。嶋本昭三氏もそのひとりだった。


…つづく。




( その後も四、五時間に及ぶ、美術うんちく糞溜めトーク、グダグダ、読む為になるも中身が全然もんもん、しんどいが、携帯打ち、いずれ父に近く、当対話文書プリント送りつけ、5月長期休に再度対話を繰り広げる計画。私と父のためだけの一字一句そのままを )

私)吉原治良とか知らん、観たことない

父)そぅか具体のできる前は線なのよ。

世界現代美術画集、を開く。(ここに載ってるかな、・・)


父) 世界の現代美術の形で日本人が載ってるか知らんけど、こういうのも、俺たちは筆跡の世界を知ってるから、だからまったく特異な現象なのよ。

私) 模様?

父) 模様じゃなくて・・・、
だからセザンヌのこうところの在り方が筆でポッポと置かれているじゃんか。

これを筆跡性と言ったらセザンヌの絵画は成立しないはずなのよ。だからさっきのような読みができるのよ。でも部分的に観たら筆跡なのよ。

私) 加藤周一が遠藤先生の絵画の講演で、「絵画を部分的に観たら現代美術だ。」って言ってた。

父) まぁ、筆跡が現代美術かどうかはわからないけど。例えば小原先生*1の作品なんかは、あのね、筆跡なのよ。マチェールの時もあるんだけど家にある「女の像」の絵なんか、なっんかい!も描いてるのよ。これをね。(髪をすくジェスチャーをする父。)

だから色が、下地の色と上がでてきたりするんだけどもね。そのやり方が“面の方向”ではないのよ。面なんだけど面の感じとちょっと違う。やっぱり痕跡があの絵に動いてるんやろな。セザンヌとはちょっと違う。

(*1私にはほとんど不可解だが、子供時分からみていた忘れられぬ絵だったから、自分もそれなりに言いたいことがある。父と5月にふってみよう、小原先生に教わり父は美術に一生捧げる決意を固めた )

私)痕跡、筆跡、ゴッホのタッチ、あれはもう痕跡という一言を凄く感じる。まぁ彼の油絵をタッチで観ちゃう素人なんだけども。

父)ゴッホなんかは絵の具よ。こないだ観て驚いたんだけどもブリジストン美術館かな、で、あの、モネとかルノアールとかがあるのよ。平面の筆跡性を観るのな、俺なんかは。でもその部屋にあったゴッホは“平面の筆跡性が絵の具のなかに入っちゃってる”まったく別な、色質感が出ているわな。同じ絵の具を使っていると思うけどな。そりゃあの時代の油絵の具ではあると思うけど。

私)絵の具の素材が、確かに観る者に、こっちにストレートに、像とか視覚の再現よりもずっとそちらのほうが強いね。そのタッチ、彼の現場の息遣いが観て感じる

父)モネやルノアールの筆跡も空気や光、そのへんでは確かに動いてるんだけれども、ゴッホは光や空気とかじゃなくて…

私)色に求めていたんだろうね、日本の浮世絵の広重の配色について絶賛しながら分析してるのを読むけど

父)だから要するに彼ら(印象やゴッホセザンヌ)がずっとやってきたのはさ。ビジュアル。ゴッホの頃にフィドラーという美学者が、視覚という問題を引き出してきたんだけど、視覚がすごく抽象的な様相を孕んでいるってこと、だから絵っていうのは記号的な言語的なものをいつも持っている。それが具体的なカタチになったのは、俺は、パール・クレーの、あの平面造形のなかにそれはひとつ完結したのかなと思う。

私)で、どの、どの作品?

父)俺は、自分で観て、わら半紙のなかにただ線をひいてるだけの作品を観てね。「あっ!これだな!」と思った。他のは、まだね、鳥が飛んでるような、ものがね。いろんな具像的なものがいっぱいあるんだけど、あるひとつの作品にさ、鉛筆にこ―――う――線がひいてあるだけなのよ。ひとつの線が、紙からはみ出してるなら四角が全部壊れちゃうじゃんか。

私)はぁああ(知るか!)

父)線が出たり出なかったりという、もうちょっと長いほうがいいとか、もうちょっと短いほうがいいとかじゃなくて、ここでなきゃダメなんだ。という緊張感がある作品観て、あ、これだな。と思ったね。

私)クレーの日記…まぁ、まだ拾い読みでしかしてないけど、あの人…

父)俺は名古屋に大量にきたの観て、いろんなことしてるんだけど彼、「あ、これしかない! 」パール・クレーの絵画の成立性は、ただこのいってんしか、ないな、(と豪語する父の体験を第三者、(聴き手の私、読者が体現するのは不可能。))

私)あの人の線は、フリーハンド、細かー細かー、なにこの技法! 素朴ながら新しい技法をどんどん作品に採り入れてる、のは感じた。で、なんかしら、霊感がある。なんだろ?、人智学の、バウハウスの、思想家の…。

父) ふーんシュタイナーか?シュタイナはバウハウスとちょっとズレがあるけどな。俺も詳しくはないけど。

私) あそぅ。音楽がものすごい好きだったらしいね、彼の日記を読むと。絵画のなかの音楽、その技術、技法についてももちろん、でもどうかするとアッチの超感覚的な霊感世界を、制作でのメモとか詩とか、文章読むんだけど、そんなこと感じるね、彼の求めてるのがなんだったんか。を感じる。

父) あぁ、そういう音楽的なところはあるわ。パールクレーと言ったときに、多く言われるのは、詩的な、ところで言われちゃうんだけどそれはある面じゃポエムの話しであって、絵画の話しは違うのよ。パールクレーの絵のその一点を俺は観ちゃった、変に何か線を加えたりとか変に何か形状を加えたりするとかじゃなくて。

だから自分の目でさぁ、自分の身体のなかで絵画の読む作業をしとかないと、みえないと思うのよね。世の中の人はそこで音楽だとかさ。だから俺のなかじゃ、カンディンスキーなんか、中期の作品なんか絵画は成立してないと思ってるからね。あれは平面を造ろうとして絵画の絶対限定をはみ出してるっていうか、いい意味じゃなくて、全然成立してないのよ。要するにあれは俺からしたらカットなのよ。有名な「色と形の交響曲」とか世の中の人はあれについて言うんだけど。どうしょもない。色と形だったらカットだよな、でももうひとつ絵画をそこに成立させるために、カンディンスキー自身も困っちゃって。彼はまた、具像の風景を描くのよ。中期の作品からなんとか離れようとして、で、作品全部の四隅を塗らなくちゃ、風景は極端に言うと、四隅を囲えば成立するじゃんか。その枠内に全部意味があって、そのあとに色面に入ったのよ。そすると、色面を得るためにパールクレーが彼の「横に」居たからね。パールクレーの色面を観て、カンディンスキ彼自身もどうしょもない、できないでいるなかで、ようやっとパールクレーのお蔭で、彼とのやりとりがあって、ようやくカンディンスキの絵画の成立出来た。色と形とは確かに絵画の要素だけど、それじゃ「カット」なのよね。だからカンディンスキの作品が絵画として成立したのはパールクレーとの出逢いから、後期の作品でようやく彼の絵画が生まれた。

私)まるがあって線があって…しか観たことないし、画集でしか。

父)まぁ、批評家は、有名な、「色と形の交響曲」の作品ばかりを、いろいろ取りだたして書いてるけど、作家の眼からしたら、あんなのどうしょもない。絵画以前のカット。絵画として成立しえてないのよ。

私)ん゛ん(咳払い)

父)そういうバウハウスの動きのなかで、勿論あの時代の、建築やデザインのいろんな作家の出入りがあったんだけど、マレービッチもそのなかに居たんだけど

私)あのさ!いつもお得意のマレービッチ、また話しにのぼる、も、いい、わかった。わからんけど、も、いい、寝る、明日仕事だし。(深夜2時)

父)よするに、セザンヌ現代アートの始まりとか言うけどまだ平面での話しだわ。で、マレービッチは感覚の話し

私)ん゛ん(咳払い)

父)マレービッチは感覚の神ではないけど、絶対的な形而上としてさ。この場合はそういう世界、人間の世界のはなしなのよ。人間が平面を造る話しの作業。だけど、マレービッチが、「無対象の世界」という論文のなかで、直接言語には載せないけれども、パール・クレーとかカンディンスキーとかに対して、おまえらのやってることは、なんなのか?という痛烈な批判を載せてるのよ。名前は挙げないけど、その構造を批判するのよ。そして、感覚自体というか無対象の世界を、作品自体が何かの啓示や何かの表現ていうものではなくて、それ自体がひとつの感覚、四角の感覚がここにあるという、それがある面じゃ絵画が求めている、

私)いや、それはワカランわ。本当に難しい。西洋の歴史や、生まれながらにして培ったあちらの風土で生きて居ないと、ほとんど、は?なんじゃ?
四角を壁面に見せてこれが感覚だ!とかほざいても、もう、こっちは、は?
でもね、僕は思うのは、たぶんそういうふうに我々にひとつの、“それ”形を目に焼き付けさせることの鋭さって、キリストの磔の十字架のような見え方が、西欧の人たちのどっか心の奥底と類似したものを観てしまうのかもしれない。非常に観念的なさっきのアレルギー反応じゃないけど、敏感なのかもしれない。

父)今までの造形のあり方がパールクレーやカンディンスキーもまだ人間の感性でしか、絵画はそれ以上のことが未開だったと思う。だけどマレービッチは全然別のどころから絵画を開示したと思うのよ。これがアメリカの切断のミニマルアートとかをその後造り上げてきた。

私)なんかあるんだろぅな。と思う。でも日本人にはすっごく難しい。

父)神とかさ絶対性とかさ。あると思うよ。

私)で…何で無対象なの?

父)だから、今までは対象といったら具像の形象の話しじゃないか。フォルムの、人間の(ユマニテ)が入り込んでるわ。
人間は入り込めないんだ、と。1+1は2ってそこに人間が入り込めんじゃんか。「正方形自体が感覚」と言っちゃったのよ。これ自体が成立している

私)あるんだ

父)絵画がどこに求めていったのかが、今までは宗教的なやりとりだったり、意味だったり人間のやりとり、それから離れていって私の平面を造るやりとりに入っていって今度はもう、私というのはもはや必要ない。

私)沈黙

父)だからアメリカの大画面*2というのは、真っ赤なのがあれば赤という感覚と人間とがやりとりするだけな。

私)人間との対話があるじゃん。

父)だから感覚がここにあるのと、そことをやりとりするのとがな、やり方がね、こちらに今までは人間がいたのよ。

私)あぁ ...神がいた。

父)あぁ、ある面じゃ神とのやりとりするみたいなものなのよ。人間から離れてな、感覚の色自体がやりとりする、やりとりはできなくなる実際は。暴力の視点、人間はそこのなかでは抹殺されるのよ。色の世界のなかに埋没させられる。

父)だからあのー、フランク・ステラが言ってるけれども、今までは小説を読んでも始めから最後までずっと読んで1週間読んだら1週間で人を殺してしまうと。ところが自分のやってることは、赤なら赤が、なんか意味とかなくて、赤と人間が対峙したときに、人間自体が赤のなかで全部死んでいくんだという…人間の有り様を小説なんか全部しめこんでいって最期終焉をつくっていく。そして完結するんだけど、それを今まではヒャーマンを云々しただろう、自分が1週間かけて読んで自分が死んでいくんだ。と。「この赤は何の意味があるのですか?」川村美術館の学芸員がテレビで質問しててさ。ステラは、「この赤は何か意味があるんではなくて、あなたと赤が出会ってあなたが死んでいく場所なんだ、」と。学芸員の質問もおかしな質問するわ、なんちゅう質問するんだ、バカ、笑)何を表現してるんですか?って表現って言う言語なんか今美術じゃ成立しえないのよ。人間の表現の範疇じゃないんじゃんか。どういう意味があるんですか?って、だからあなたは赤で死ぬんです。赤に危険信号だとかそんな意味はまるでない。そのままだ!。マレービッチじゃないけどな。正方形そのままだ!…そのままとあなたとがただ対峙してるだけだ、と。そこに人間性だとかそういうのは問題ではない。


…つづく



...

    父との対談 

 

(父)

今例えば飯田美研であってもいいのよ、三人で表現媒介の構造でアートを置かないという、今までアートは表現物の媒介物と置かれてきたじゃないか、営営と現代までおかれてきたという、その視点ではアートは無いんだぞというね。 そのことをある面じゃ作家の側がね 同意するなら参加してくれ、牧村や湯沢と俺の三人だけでも、飯田美研がこれまでやってきたことを、示せるところにきているのよ。

 

(私)

へぇぇ

 

(父)

だからもう感性、感覚、という人間のやり取りをする場所にはいない、作品(物)はそういう次元にないというね。俺たち(飯田美研)はそのへんのところをみていたのじゃないのか、と 「あぁこれはいいなぁ」とかさぁ そういうものじゃなでしょ

 

(私)

さっき言ったホワイトヘッドという話しなんだけど 実はね、ちょっと前あのその人の概要を読んでいて 数学から自然哲学 有機哲学なんだけど 

要するに生命哲学、生命を科学では説明できない問題を哲学で解こうとした 、1970年頃かな、科学でできない頃のオパーリン 宗教 哲学、存在論とか含めて、その彼の論の中に やっぱり存在と創造というのが非常に重要な問題になっていて、

 

(父)

だから自然哲学というのは神の生まれる前の哲学だったのよね アリストテレス哲学は自然哲学の場所で知的創造を成したのだけど、それにもうひとつプラスして形而上学を、神の意がだんだんと付け加えられて それは勿論 アリストテレス以降の人間が彼の自然哲学を、読み込んで、抽象的にさ

形而上の概念で読み変えていったのよ、哲学のそういう歴史があるのよね。 形而下のところに有ったはずの問題を 後になってそうした分離の仕方で

形而上に置き換えていくという知の哲学の歴史が、営々とあったのよ

 

(私)

あぁ 地上を指さすアリストテレスと 天を指さすプラトンか ミケランジェロだったっけ2人の歩いている絵があったけど

 

(父)

でそういうところの現代も形而上でオブラートできるみたいな、自然学の場合物理学だろうと生物学だろうと、物と触れている人間の自然学という

場所というのは、まぁ、はじめは自然学と形而上学というのはもともと別個であったのだけど 物と人間とを媒介する神という存在を

認識して形而上学というパイプで繋げていくという構造があった、つくってきた知の哲学の歴史が営々とギリシャからこれまでもずっとあったのよ

あるのよね。人間学のほうからそれを読んでしまったのが20世紀のはじめに完成したのよ

 

(私)

有るな、

 

(父)

そうしたなかにいて美術においても今そのへんの問題が、だから、さっき言った飯田美研が 「アートが表現 媒介というところに無い」 としたのも

まこれは現場行為のなかで暗中模索しながら、こうじゃないかというかたちで と フワっとしたかたちで言語のなかで出てきたのね。有限物界宣言 例えばだけど

それを今度は マレーヴィッチやアリストテレスにある知をもう一度僕らが読み込んでいくと、今までの飯田美研がアートでやってきたものがなんであったのか?、が観えてきたのよ、いまそれが、俺らの仕事よ

マレーヴィッチの 「無対象」というのは、何かっていったら、「実の場所」なんですよ、

「対象」というのは作品やアートを対象化するというところで、要するに形而上学で観てしまっているのだ、と気づいたのですよ

つまりオブジェ(対象)として、作品やアートを観てしまうということは、つまり頭で分析したものにすぎないのだ、ということに気づいたのですよ

 

その物(作品)やアートが、その「実の場所」からどんどん離れてしまっていることは、つまりはそれは

メタファー(表現)だとか、媒介(メディア)だとか、仮想(ヴァーチャル)だとかいう、

極端に言えば、神の意=人間主義=アートという、人間のそうした意識や認識に引きずられてしまっている 

対象(オブジェ)という概念は、結局その物の、実のアート、実の存在と、私の身体とが触れているのでなくて、

分析、いってみたら科学の次元だということね、そういう認識で観ないところのもっとアートの実の場所があるのだと、

そういうことを、アートのなかで見出し、僕らは提示しているのですよ。

 

 

(私)

マレーヴィッチの「零の形態」あれ読んだけど、けっこう面白かったけどな、社会文明論みたいなかんじがしたけれどな

 

(父)

一番面白いのは対象というものの見方ではないというところ、つまり今までの形而上学ではないところの、

そういう今までの認識次元の構造を、否定しているところが面白いのですよ

だからあのマレーヴィッチの黒の正方形というのは黒の正方形という概念があるのではなくて、

そういう実体(実態)を言っているのですよ=感覚と言ったけど

だからフォルム論なのだけれど今までのフォルム論とはまったく違ったところのフォルム論なのよ、

それを誰も読みきれていないのですよ、美術評論家たちは

 

(私)

ふむ、読みきれんなぁ

 

(父)

だけどぼくらがもの(作品)にふれているときに 例えばもしかしたら生物学者たちは、極端に言えば、そういうフォルム論をもっている可能性があるのよ

葉っぱのカタチというのを実体としてみることができる、とマレーヴィッチが書いているのだけれど その場所は対象化できないものとしてあると。

 

(私)

あの零の形態で、セザンヌの色形線を徹底的に絵で追及していく そのところで以降、ブラックやピカソキュビズムとか フォルムのその頃の美術の変遷をすごく丁寧に書いてあって、絵画のオブジェについてしっかりと書いてあるのを読んだけど、なんで対象(オブジェ)を否定したのか、無対象としたのか、矛盾している。

 

(父)

そういう意識や問題を彼が引きずりだしてきたのはひとつ大事な場所だと思うが、でもそれが出てきたのはパウル・クレーのフォルム感が先にあるからよ。フォルムのそういうバウハウスの実用のなかに、アートのフォルムとは実はそういう場所にはないのだぞ、ということを、彼はそうして無対象という言語を使って彼らに対していっている、

だけれども、つまり、 表現、媒介、によって全部閉じられてしまっている、今の現代アートの論者たちから観ると彼の特異なフォルム論として、彼をそう評価しているのですよ。そう読むこと、そう観ることしかできないでいるのも確か、評論家たちが今でも

 

(私)

黒の四つの正方形とか あの作品、の

 

(父)

だからそう、彼のフォルム概念を彼の特異な概念としてだけ、美術史においてその烙印を押して、閉じてしまっているのね、論者たちの多くがね

でも彼は、今までのセザンヌキュビズムというフォルム読みとった対象的なことからみんなアーティストたちが、こうやって離れているのだ、と 

無対象というところからそれを引きずりだしてきたのよ、見つけてきたということなんだよな。

 

(私)

ん? ちょっとよくわからんなぁ

 

(父)

つまりね、パウル・クレーや彼らバウハウスのデザイン的な、実利のフォルム感、意味のそれに対しての否定があって それに対してノーといった場所、これは画期的だったのよね、でも美術論者たちや美学者たちもそれを読もうとしないのね。

 

(私)

ふむ、アンフォルムとかがあった時代 後になってあったじゃないですか、アンフォルメルとか アメリカのポロックとか、

マレーヴィッチのその本のなかに、「縁フチの世界」というのが書いてあって その一番外の世界が一番イリクンデいて一番面白いとか、

でその全体の世界がオブジェ化している で だから創造っていうのは、なんていうのかな、

その縁があってその境界があってその対象化されたその世界を その縁を壊しているのかな、

アンフォルムというフォルム感もなんとなくそんな感じがして、無対象の世界というのは 

もしかしたらそうしたアートの流れが彼のスプレマティズムから引き継がれているのかな、そんな気がして

 

(父)

んん あのなぁ 違うのよ、マレーヴィッチの言うフォルムというのは、人間の範疇にはない神の言語にフォルムを引きずりあげようとしたことなのよ

 

(私)

宇宙観というか? あの人のコスモロジーとか? よくわからないな

 

(父)

そこに彼の一番の弱点があると思っている。 マレーヴィッチもフォルムというものも具体物から入っているはずなんだけれども、

少なくとも飯田美研がアートでやってきたことは、物からフォルムが出てくることはあっても、フォルムが物から離れて 概念やデザインや表現 媒介、仮想

宇宙だとか神だとかいう、そういう先にも言ったけど そういう形而上に向かうことは有り得ないのですよ。


つまり彼の唱える無対象という世界は 現代アートでも今も営々とやっている「表現」というのを、いまだに抱えていたのは作品や論からわかるのですよ、

「表現の媒介性」というのは部分的に拒否しているのだけれども、表現、つまりメタというのをやはり彼も、アートから外せなかった。

つまり先にも言ったように彼にとって、神の意の絶対性、その価値観に入ってしまっているのですよ。

そこに俺は、彼の、20世紀の、人間主義の、ひとつの、限界があるのを観てしまうのですよ。

 

(私)

あぁ 「神の意を使った表現」、そんな言葉 聞いたことがある、ラップの詞だけど、

 

(父)

でこの期間、マレーヴィッチを含めたイデア論的なものがはいりこんでいる アートの場所には 先の話だな

それをまさに拒否していたのがいたとしたら、どこにいたのか? といえば、イオニアの自然科学者たちなのよ

彼らは神も、人間社会のなかにも居ない場所の、自然に対して物に対して触れていた人たち、アリストテレスの前の、

どのようにしてそうした人たちが生まれそうした場所が形成されたのか、そういうところで生まれてきたものを

ある柄谷の本の一冊を読んで あるとき柄谷行人の「哲学の起源」という本を読んでいて、気づいたの。

なぜ?マレーヴィッチは、神なりそうしたイデアとアートとが、結びつけられたか どうして?彼もそうなっていくのか、

柄谷氏のその本に論じられている内容に照らしてみると、その疑問が解けたのよ。

 

(私)

なぜ? どうして? その疑問がどんなふうに解けたの?

 

(父)

ちゃんと俺の文章読んでくれ

 笑 、、

それを切らんと今のヴァーチャルは切れないのよ だからそれが去年俺の書いた文章なのよ、 そういう場所な。

つまりフォルムというその抽象言語のなかで、物を置くことを拒否しているのは なぜか?というと

「地上の在ること」の話をしろ、とアートでは 今までの概念や形而上の話はするな、そういう場所なのよ 笑、、

 

(私)

あのさ、あの、その 「在る」 について、ちょっと言いたいのだけど、ちょっとある人が ま 先のホワイトヘッドの、そのなかに気になる一説があって

その人は、生命哲学の、やっぱり 無から有なるところの生成していく という場所があるじゃない、生命という場所の 

で彼はその生成過程そのものが「実在」だと言っているのね、ある日本人が誰だか忘れたけどホワイトヘッドのそれをもう少しわかりやすく読み換えてて

「成る 為す 在る」という、 あるいはこれは、イオニア哲学の人だったタレース (ちゃうわヘラクイトスだ)「万物流転」というのを言っていたけど、仏教にもずっとそれはある話だし、でもこれって神でも形而上哲学の話でも概念の話でもなく、実の場所としてそれが在るという、我々が知ろうが知るまいがそれが在ると。

「生まれる 生きる 死ぬ」「become   do   be」という場所 人間だろうと生物だろうと たとへ物だろうと 

それと同じところで「地上の在ること」なんじゃないのかな?。アートじゃないとはたぶん言うかもしれんけど、

 「 成ること(変成)become. 為すこと(行為)do. 在ること(死)be. 」 というのは、、俺はね、父たちのやってきたアートのなかにそういのを観ていた気がしてるんのよね。

 

 

 

、、つづく。


 

 

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